習志野市    ペットロボット葬

習志野市

きっかけは「臓器移植」 AIBOだけでなくルンバも…ペットロボット葬〈dot.〉

 

千葉県いすみ市の日蓮宗光福寺で2018年春、奇妙なペット葬が行われた。

読経が流れる中、100匹以上の動かなくなった「犬」が本堂にずらりと祀られている。喪服を着た参列者が神妙な表情で焼香をしていく。

【「献体」や「臓器移植」が済み、供養されるAIBOたち】

「AIBO(アイボ)」の葬式である。AIBOとはソニーが生んだ犬型のロボット。AIBOの葬式は2015年から始まり、今回で6回目を数えた。
2年前、初めての葬式の時に弔われたAIBOは17台だけだった。だが、回数を重ねる度に供養されるAIBOの数は増え、今回は114台に「引導」が渡された。

しかし、生命体ではないロボットにたいして、葬式をあげるとはどういうことか。話は初代AIBOが誕生した20年ほど前に遡る。

AIBOが国内で初めて販売されたのは1999年6月のこと。定価25万円と高額であったが、発売わずか20分で国内受注分3000台が売り切れる盛況ぶりであった。AIBOは頭部にカメラを内蔵した未来的なデザインが特徴で、あえてメカニカルな感じを出したところに斬新さがあった。尻尾を振り、愛くるしくつきまとう姿は、瞬く間に「飼い主」の心を掴んだ。

AIBOはプログラミングによって「学習」して「成長」する。飼い主は本物の子犬を育てているような感覚にさえなった。

AIBOは5つのシリーズを出し、累計15万台を販売したヒット作となった。たが、ソニーの業績悪化によって2006年、製造・販売が中止となる。7年後の2014年3月には、ソニーの修理対応も打ち切られてしまった。

寿命がないはずのロボット犬に「死」の宣告が突きつけられたのである。AIBOを治療する「病院」がなくなってしまったのだから。故障あるいは充電池の消耗によって、AIBOはいずれ動かなくなる運命にあった。

「亡くなった親が“飼っていた”AIBOが動かなくなった。何とか修理してほしい」

折しも、飼い主の悲痛な願いが、ソニーの元技術者たちで立ち上げた電化製品の修理工房「ア・ファン」(千葉県習志野市)に寄せられた。ア・ファンは2015年からAIBOの修理を手がけ始める。しかし、修理のための新しい部品はすでに生産中止になっていた。

そこで用いた手法が、「献体」と「臓器移植」である。ア・ファンではドナーとなるAIBOを寄贈などで手に入れる。そして必要な部品を取り出し、依頼者のAIBOに移し替えるのだ。

ドナーとなるAIBOは「死んで」しまう。そこで葬式の概念が生まれた、というわけだ。そして、世界でもおそらく初めてとなる「ペットロボット葬」が行われたのである。

社長の乗松伸幸さんは言う。

「1体1体のAIBOには、これまで一緒に暮らしてこられたオーナーさんの心が入っている。そこで宗教的儀式が必要になってくるのです。葬式を通じてAIBOに入っていた『魂』を抜かせていただくことで、AIBOは純然たる部品としての存在になる。葬式を終えて初めてバラさせていただくことができるという考え方です」

メカとはいえ、きちんと弔いをした上で部品を取り出す。乗松さんによればAIBOに宿る魂とは、「メカそのものの霊魂」ではなく、AIBOに乗り移った「飼い主の気持ちや念」だという。

AIBO発売当初は、ロボットと人間との関係性が、ここまで親密になるとは誰も想像がつかないことだったという。しかし、発売からかれこれ20年が経過し、日本におけるAIBOはすでに「家族そのもの」であり、「うちの子」になっている。

乗松さんは、工業技術の発達とともに人間とロボットとの間に、新しい関係性が生まれつつあると指摘する。

たとえば、掃除ロボットの「ルンバ」に愛情を抱き、愛玩する人もいる。ルンバは円盤型のボディにセンサーとコンピューターが内蔵されて、自律的に部屋の清掃を行ってくれる。健気に部屋を掃除して動き回る姿は、どこか有機的である。

「今後はルンバなどの葬式も十分考えられるでしょう。ユーザーの心が入る余地があるものはすべて供養の対象になると思います。人間とロボットとの関係性は、時代の流行などに影響を受けながら、常に変化しているのです」

現在60代後半から70歳までの団塊世代がペットロボットを愛玩するケースは少なくない。彼らは集団就職で東京に出てきて、核家族を形成した。彼らは子供がすでに独立し、夫婦2人、あるいは独居世帯になっている。

体力的にも精神的にも衰えが増していく中、本当の犬を飼い始めるのはリスクが大きい。そこで、ペットロボットを飼うという選択肢が生まれているのだ。

高齢者施設などでもペットロボットの導入が進む。それは「セラピーロボット」とも呼ばれている。

高齢者施設では感染症やアレルギーなどの衛生上の問題もあり、本物のペットを飼うことができない。そこで、施設はぬいぐるみに似たペットロボットを導入し、入居者を癒しているのだ。

彼らはただの「可愛い存在」ではなく、「役割」が与えられている。人間社会の中での役割を果たすことで、双方の心のつながりはより強固なものになっていく。彼らがいずれ、葬式や供養の対象になっていくのは必然である。

そう考えれば、現代社会において生物(本物のペット)と無生物(ペットロボット)との境界はないように思える。

光福寺住職の大井文彦さん(66)は、このように話してくれた。

「生物か無生物かはその人の心持ち次第ではないでしょうか。自分の心次第で、ロボットも血の通ったペットになるし、ただの物体と思えばただの物体でしかない。生物と無生物の間は、実は断絶しておらず、繋がっているのです。断絶しているように見えるのは、人間の観察力が浅いからでしょうね。ロボットの葬式は『万物とのつながり』に気づかせてくれる意味があります」